海外の大型スロットマシンがパチスロ機の原型と言われています。その海外の大型スロットマシンが輸入・発表された年がちょうど東京オリンピックが開催された年でした。それにちなんで日本ではオリンピアマシンという名称で普及いたしました。
その後、ホールに設置するためにパチンコと大きさをあわせた『箱型筐体機』や、『3メダル5ライン機』など、様々な発明・改良が加わり、パチンコとスロットの両方から名をとって『パチスロ』という名称になっていきました。
昭和39年 |
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昭和52年 |
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昭和55年 |
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昭和60年 |
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昭和63年 |
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平成元年 |
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『4号機』の時代が訪れると、『大量リーチ目』『技術介入』等によりゲーム性の幅が広がり、熱狂的なファンを獲得しました。その後も『チャレンジタイム(CT)』、『アシストタイム(AT)』、『ストックタイム(ST)』など、更なる新機能によりパチスロ人気は留まるところを知らず、広い世代から「優れたエンタテインメント」として認知されました。
平成17年に施行された新規則により「遊びやすい」パチスロ『5号機』が登場しました。
平成4年 |
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パチンコのルーツはコリントゲームに代表される欧米の遊技機で、これを立ち型に改良した「玉遊菓子自動販売機」が全国の露店で普及していったと伝えられています。「パチンコ店」として正式に許可を得たのは昭和5年(1930年)、名古屋市の店舗が初めてだったとされています。
昭和17年(1942年)、戦時中特別措置によりパチンコ営業は全面禁止されてしまいますが、再びパチンコの営業が認められた戦後の昭和20年以降は、数少ない庶民の娯楽として再び高い人気を博しました。
戦前 |
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大正14年 |
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昭和5年 |
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昭和17年 |
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昭和20年 |
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当時のパチンコは釘が等間隔に打ち付けられ、玉を一つづつ込めて打ち出すゲームでしかありませんでしたが、上皿から玉を自動的に補填することで玉を込める手間を省いた『連発式』や、自動的に玉を打ち出す『電動ハンドル』など、様々な発明により改良されていきました。
ゲーム性に関しては、釘の配列により変化に富む玉の動きを実現した「正村ゲージ」、入賞口が拡大するというオマケ要素を付与した「チューリップ」、スロットマシンの『絵柄を揃える』要素を取り入れた「デジパチ(フィーバー機)」が、それぞれ一大ブームを巻き起こすほどの人気となりました。
昭和25年 |
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昭和27年 |
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平成3年 |
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